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春、快晴のグラバー園(長崎、唐津、呼子の旅 #2) [2014年長崎、唐津、呼子の旅]



#2 は、長崎のグラバー園です。天気に恵まれ、最高の景観でした。

グラバー園(グラバー邸)は、遠くスコットランドより来日したトーマス・グレーク・グラバーが1863年に長崎南山手の丘に住まいとして建設されました。その後、昭和32年に三菱重工業長崎造船所からのグラバー邸の寄贈を受けて、昭和33年に市営の観光施設としてオープンしました。

当時は幕末の混乱期。倒幕の野望に燃える志士や西洋での学問を志す若者と、異国の地での夢を抱いてやってくる西洋の商人たち。ここ長崎やグラバー園も歴史の表舞台にしばしば登場します。そんな幕末の歴史に思いを馳せながら、グラバー園を見て行きましょう。

グラバー園はかなりの高台にあるため、エレベータであがることができます。

グラバー邸

エレベータから降りると、長崎は改めて「階段の街」「坂の街」であることを感じます。長崎は、坂が多く自転車に乗る人も少なく、自転車の放置自転車の問題もほとんどないそうです。確かにこの坂では自転車に乗るのは難しいですね。

グラバー邸

さて、グラバー園からの長崎港の眺め(右手側)です。天気にも恵まれ、最高の眺めですね♪

グラバー邸

左手側には女神大橋もよく見えています。

DSC01526.jpg

グラバー園からの全景の撮影にチャレンジしてみました。なかなか良い感じで撮れました。旧グラバー邸がいかによい立地のところにあるのかご覧頂けると思います。ぜひ、クリックし拡大してご覧ください。

グラーバー邸

いよいよ、グラバー園内の様子です。エレベータをおりて入り口を入ると、旧三菱第2ドックハウスがあります。ドックハウスとは、船が修理などで停泊している間に船員たちが宿泊するための施設で、船員の休憩宿泊施設として建てられました。

グラバー邸

旧リンガー住宅です。この家には、イギリス人のフレデリック・リンガー家が明治時代から昭和時代にかけて住んでいました。元々、リンガーは中国茶の熟練検査官でしたが、1868年にグラバー商会を退職し、「ホーム・リンガー商会」を設立しました。

グラバー邸

旧オルト住宅です。この家には、イギリス人のウィリアム・ジョン・オルトが1865年から1868年の3年間住んでいました。オルトは、1859年に来日以来、貿易商として製茶業を扱っていました。

グラバー邸

グラバー邸

グラバー邸

園内の様子です。あちこちに花が植えられており、とてもきれいです。

グラバー邸

いよいよ、旧グラバー住宅にはいっていきましょう。旧グラバー住宅はこの奥にあります。

グラバー邸

旧グラバー住宅の外観です。グラバーは1859年、若干21歳で上海を経由して日本にやってきました。彼はやがて日本再建のための行動をとり始めます。まずは日本の若い志士たちに、国際的な目を開かせることが大切と考え、伊藤博文をはじめ海外勉学の旅を斡旋してきました。明治維新前後に多くの偉人たちが誕生したのも彼の貢献もあったのでしょうね。

グラバー邸

グラバー住宅内部からも長崎港が見渡せます。

グラバー邸

違う角度から、旧グラバー住宅の外観を見てみましょう。

グラバー邸

ここからも長崎港がよく見渡せます。

グラバー邸

あと、写真はとらなかったのですが、旧グラバー住宅内部には、グラバーの妻ツルが使っていた窓のない隠し部屋があります。グラバーは倒幕派の長州藩、薩摩藩などに肩入れし、長州藩にも大量の武器を売っていました。そんな武士たちと密談を重ねていたといわれています。坂本龍馬もこの隠し部屋でかくまわれたのでしょうか?

幕末の時代やグラバーの活躍に思いを馳せながら、グラバー園を後にします。長崎、唐津、呼子の旅、次回に続きます。


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TR

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by TR (2014-09-26 07:54) 

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